(C)2009「火天の城」製作委員会
映画『火天の城』
田中光敏監督 インタビュー
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映画『火天の城』監督
田中 光敏氏
「安土の山、丸ごとひとつ城にせよ」。信長の命を受け、安土城築城を任された宮大工・岡部又右衛門の壮大なストーリーを描いた映画「火天の城」が9月12日の全国ロードショー以降、各地で大きな反響を呼んでいる。本作をみごとまとめあげた田中光敏監督に、作品に込めた思いや物語を通して伝えたかったことなどを伺った。
(インタビュー・戦国魂プロデューサー鈴木智博)
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鈴木 「火天の城」を観て、戦国ファンから喜びの声をよく聞くのですが、その理由の一つは衣装や史実に基づいてかなりこだわりを持って描写されているところにあるのではないかと感じるのですが。
田中氏(以下敬称略)そうですね。岡部又右衛門は実在の人物で、彼に対するかなりの文献を読み、徹底して調べたんです。それから、実は子孫の方にもお会いしたんですよ。そこで、先祖からどんなことがあろうと守り抜いているという家宝を御見せいただいたんです。それは、何かと言うと、又右衛門が毛利水軍を破った鉄甲船を作ったということが記されている巻物なんですね。彼は安土城を建てた人なんですが、それ以前、信長に「沈まない船を造れ」という命を受け鉄甲船を造っていたんです。実は映画の中にも鉄甲船の描写を入れたりして、随所に私なりのこだわりを持たせています。私の又右衛門像は天才大工であると同時に信長のオブザーバー的役割を担っていたと思うんですよね。
鈴木 そういうこだわりというのは戦国ファンにはたまらないですね。すると、あの場面の鉄甲船は又右衛門が造ったということだったんですね。彼がただの築城の総棟梁ではなかったってことだったんですね。
田中 鉄甲船を造り上げた又右衛門だからこそ、信長は五層七階の城もたぶん又右衛門なら不可能ではないだろうと考えたと思うんです。そういった面でも信長って本当におもしろい男ですよね。前半部分に出てくる縄張りも、ああいう風に縄張りをしたのは信長が初めてなんです。普通は山のてっぺんだけを縄張りするんですが、信長は山の下まで縄張りをしてそこに城郭、土塁を築いてその内側に市民たちを住まわせるという城下町の概念を作り出すんですね。
鈴木 なるほど。信長というのは、堺を見たり石山本願寺を見て寺内町に城のような要塞を建てたりとか、宣教師がベネチアの話をしていたりだとか、たぶん街づくりのいろんな構想を持っていたんでしょうね。
田中 そうなんですね。信長のいう城という概念は、縄張りの中にある要塞都市なんですよ。そういった歴史的事実に基づいた細かい描写も映画を観た方の中でわかる人にはわかる内容になっています。
鈴木 私は最後のシーンがすごく印象的でした。城を浮かび上がらせたというあれも実際「信長公記」の記録からだと思うのですが、普通ならあの場面で「語り」が入ると思いました。しかし意外にもあっさりと終わったんですが、それはやはり演出だったんですね。
田中 信長の言葉ではよく儒教の内容が出てくるんですが、「天正」という年号の由来である「清静は天下の正たり」という言葉も老子のものなんです。たぶん信長は中国の格言などをきちんと理解していたんですね。中国の都市づくりであるとか民の上に立つもののあるべき姿などを教える昔の言葉をしっかりと捉えていたんですよ。それであの言葉を使わせていただきました。史実に基づいた細かいディテールは本当に沢山あって、そこを探しながら観ていただくのもまた楽しいんじゃないかと思います。
鈴木 安土城ってどうやって造るんだろうって戦国ファンは本当に不思議だったと思うんですよ。でも実際にああいう形で出来上がる過程を見れてやはりすごい事業だったんだなと感じましたね。
田中 確かにあの石組みも石自体もちょっとだけ横に長いんですよね。それが安土城の石組みの特徴なんです。当時はまだそこまできれいに石を切る技術が進んでいなかったんですが、ただ組んでいくと横のほうが強いということはわかっていたんですね。いろいろ勉強していくと本当面白いですよ。
鈴木 映画を観ているとわかるのですが、築城という言葉を使わず作事と言っていたりとか、細かい部分で本当にこだわりがあると思いました。
田中 どこまでこだわった言葉を使っていいのかというのは結構悩んだんですが、どうしてもストーリーのポイントでわかりづらい部分があって「指図争い」についてはやむを得ず字幕で説明を入れました。できるだけ歴史を知らない人でも楽しいように、歴史を知っている人はさらに目を凝らして観てもらって、「ここにはそういう意味があったのか」という発見をしてほしいですね。
鈴木 良い木を争うという部分も真剣勝負。あの時代の材木は貴重な資源で自分達で植樹したりして資源管理もきちんとしていたんですね。そんな中良質の木材を探しに行くという行為は一つの争いの火種にもなるわけで、命がけだったんでしょうね。
田中 そうですね。かつての山城っていうのは本当に松が多いんですが、安土城は松が少ないんですよ。それはなぜかというと戦う城という概念を捨てているからなんですね。
鈴木 籠城対策していないってことですね。つまり信長の考える民のための城ということですか。
田中 それから、白漆喰という概念は寺社仏閣の概念で、要するに寺社仏閣の白漆喰を城に用いるというのも、どうも戦うための城ということではないということだと思うんです。
鈴木 映画の登場人物の衣装についてもかなりこだわりを持たれているように思ったのですが。
田中 衣装については、信長を含めてメインの方々の衣装はみんなオリジナルで作ったんですね。で、実は色で全て分けているんですよ。信長については、赤、シルバー、黒、この3色を身につけるということにしました。
鈴木 なるほど。信長のカラーはとてもはまっていますね、カラーイメージを使うのは、とてもユニークな試みですね。
田中 木曾の杣人たちは森の中で働く者たちというイメージで衣装はグリーンにしていますし、又右衛門は茶系で又右衛門の奥さん・田鶴は寒色系、娘・凛は暖色系ということで、色のイメージでキャラクター付けをしています。
あまり、気づかれませんが、こだわったんですよ。
鈴木 監督が今後やりたいことは何でしょうか。
田中 実は私、時代劇は今回が初めてだったのですが、そのおもしろさを発見しましたね。現場の中では、時代劇というのは特殊で、たくさん出来ないことがあるのは知っていたんですが、それでも「これはできないんですか?」ということを沢山言ったんですよ。東映京都っていうのは懐が深くって私がどんな無理を言っても容認してくれるんです。さすが時代劇の本場100年以上も歴史があるって感じましたね。この京都で時代劇を培ってきた人たちの教えを存分に受けたんですね。普通「こういう感情のときはここで立ちたいんだけど」と言うと、「時代劇では立てない」となるわけですよ。だけど、みんなと話をしていくうちに、「いや、この気持ちのときだと立てるかもしれない」ということになって、一般の職人がすっと立って目を合わせるなんて時代劇の設定の中でできないことができたりするわけです。できないということを知っていて、やっちゃうことのおもしろさってあるじゃないですか。状況を理解してもらった上でそういうことができるっていうことも東映京都ならではなんですよね。
ぜひ、そんな東映京都で時代劇が撮りたいですね。
鈴木 最後に、「火天の城」を通して伝えたかったことをお聞かせください。
田中 ひとことでいうと「木組は心組」というところではないでしょうかね。築城はただ単に木を組み合わせていくのではなくて人の心を組み合わせて作り上げていくものなんだというところです。やはり現代社会は帰属意識というのが無くなりつつあると思うんですね。自分を大事にする一方で責任と行動が伴っていなかったりする。強烈なリーダーがいればみんな付いてくると思うんですが、そういうヒーローではなく、本当は皆に頼りたいが言い出せずにいる又右衛門を見て、全員が自分の意思で力を貸すというシーンがあります。
絆の強さとか、身近な誰かのためとか、作業ではなく心を合わせて何かを成し遂げたときの喜びとかは時代を超えて伝わるものだと思っています。
鈴木 田中監督、本当にありがとうございました。
今回は映画「火天の城」の田中監督にお話をお伺い致しました。
安土城のその後は歴史が示すとおりです。また、現在当時の姿を確認できるものはあまりにも少ないことから謎の城とされてきました。信長が本能寺の変でその生涯を閉じたように、安土城も謎に包まれているゆえに後世の私たちにとっては興味が尽きないのかもしれません。
そして、今安土の地に行けば当時の面影を残す城跡に出会う事ができます。
日本の戦国はファンタジーが半分、史実が半分。映画をご覧になられた方は、今度は是非ご自分の足で、安土の地を踏みしめてください。又右衛門の視点から城跡を見ると当時の城郭が蘇るかもしれませんよ。
戦国魂プロデューサー 鈴木 拝
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