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甘南備山は「神が鎮座する」という意味を持つ霊山で、かつて平安京造営の際には、都の中心軸を決定する大きな役割をしたといわれています。
山岡荘八著『徳川家康』第八巻では、伊賀へ抜ける道として、徳川家康一行が甘南備山の悪路を進む様子が描かれています。
”とんちの一休さん”で有名な名刹酬恩庵一休寺は、数多くの重要文化財がある堂宇や国指定の名勝庭園が見どころです。この名刹は家康一行が通ったといわれる甘南備山東山麓に位置します。
戦国武将の嗜み茶道にまつわるサロンとして、近江の戦国武将六角氏の墓もあります。
天武天皇の勅願により義淵僧正が創建。天平の華・十一面観音立像(国宝:全国で七体)が安置されています。
家康一行や穴山梅雪一行もこの付近を通ったといわれています。
重要文化財に指定されている十一面千手千眼観音立像をご本尊とし、文武天皇の時代に創建されたと伝えられています。古くは「山本の大寺」と称され、民衆の信仰を集めました。
交通の要所であり、家康一行にとって危ない危険な場所でした。
飯岡区の共同墓地にある五輪石塔の墓は徳川家康の武将であった穴山梅雪のものです。
梅雪は、元武田家の武将であり、母に武田信玄の姉の南松院、妻に武田信玄の三女・見性院妙顕をもつ重臣。家康とともに泉州堺にいた梅雪は、本能寺の変の知らせを受けると、一行の殿(しんがり)をつとめ、一日遅れで、家康と同じ道筋で帰城しようとしました。
しかし、草内で一揆に巻き込まれた、または明智光秀に家康を討ち取るように命じられた土民たちが誤って討ったなど諸説あります。(梅雪の従者が普賢寺谷で道案内人を殺したことから、土民により殺されたとの説も)悲運の武将として、飯岡の村人によってこの地に手厚く葬られたと伝わっています。
十六の渡しともいい、草内と対岸の十六を結んでいました。伊賀越え最大の難所で、この渡し付近で梅雪は命を落としたと伝わっています。
1日前には家康が辿ったルートであることから、家康の運の強さを感じられます。
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