さて、大河ドラマ「功名が辻」でも早い時期から登場し、
後に「今孔明」とも称された竹中半兵衛とはどういう人物なのであろうか。
竹中半兵衛重治は天文十三年(1544)九月十一日、斎藤道三の家臣・遠江守重元の子として生まれた。初め源助、諱は当初重虎と名乗っていたようで、安藤伊賀守守就の娘を妻に迎えている。山内一豊の妻・千代の出自には近江坂田説(若宮友興の娘)と美濃郡上説(遠藤盛数の娘)の二説があるが、「功名が辻」では近江説を採用している。しかし半兵衛の妻の妹は遠藤盛数の子・慶隆に嫁いでおり、もし千代が美濃郡上の出自とすれば半兵衛の妻と千代の兄・慶隆の妻が姉妹ということになる。
半兵衛は永禄三年(1560)に父重元が没したため十七歳で家督を嗣ぐことになり、西美濃菩提山城(岐阜県垂井町)主となって稲葉山城主・斎藤龍興に仕えた。半兵衛は十四、五歳の頃には眼光ただならぬものを持ち、武略は衆を超えていたといい、二十歳の頃には大気の片鱗を見せ始めていたと伝えられる。